ばっかすの部屋

趣味や関心ごとに関する身辺雑記をチラシの裏に書き散らす。 そんな隠れ家「ばっかすの部屋」

黒白の囮

Nobプリ黒モデルamazonに登場しました。私が購入した白モデルとは別リンクとなっていますが、外観と価格は同一です。

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黒モデルは「Nobsound ホーム アンプ用 HiFi クラスA ステレオ プリアンプ 2.0CH デスクトップ オーディオプリアンプ」、白モデルは「Nobsound HiFi プリアンプ ステレオ オーディオ トランジスタ プリアンプ アンプ」という、別個の長たらしい名称ですが、商品紹介文は(一部順序の違いはありますが)同一の内容となっています。

また、それぞれの「商品の情報」欄を見ると、以前はなかった「メーカー型番」が記載され、それぞれ「GFJ041H-JP」(黒モデル)「GFJ041-JP」(白モデル)となっています。

これらを見る限りでは、色違いの同一機種のようにも感じられます。

ところが、内部の写真を見ると、トランスも基板も回路もパーツも配線も、全くの別物であることが判明します。

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当然、音も全くの別物となるはずですが、白モデルの方が音が良さそうに見えますし、オーディオ装置はシルバーかシャンパンゴールドと決めていますので、黒モデルを買っての比較は行わない、ということにしておきます(白モデルの内部が黒モデルのものに変わったら、、、?)。

 

ところで、黒モデルの内部写真をよく見ると、下の方に不自然な影が付け加えられています。これを微笑ましいと見るか、何かを暗示していると見るか。

Nobプリの謎、いよいよ深まる秋です。

 

大同小異(A級外盤No.73)

No.73「アニマスIII シナプス→ ヴァレンタイン」

「ANIMUS III」と「VALENTINE」という2つの作品を、「synapse→」(矢印はsynapseの下線として記されている)という経過部で連結するという構成です。

ジャケット裏のタイトルリストには、「ANIMUS III」はクラリネットとテープ、「synapse→ VALENTINE」はテープとコントラバスのための作品と記されていますが、「synapse→」がテープ(電子音楽)、「VALENTINE」がコントラバス、と分かれています。

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長岡先生の評価は、「電子音楽といっても、最近のシンセサイザーとはちがって、極めて原始的な発振音が中心、それにクラリネットが加わってもたいしたことはない」(ANIMUS III)、「お粗末な電子音(音楽とはいえない)」(synapse→)とにべも無く、「VALENTINE」のみが「問題は後半のコントラバスのソロだ。これは凄い。コントラバスのレコードはたいてい持っているが、未だにこれを凌ぐものにはお目にかかっていない」と絶賛の対象となっています。

しかし私の環境では「強烈なピチカートでは、衝撃波がリスナーと部屋を強襲する。このレコードをかけると、メーカーの試聴室は至るところ共振してガタボロになる」といった事態には陥りません。原典のスペアナ写真は50Hzまでハイレベルで伸びていますが、40Hzまでフラットな私のスーパースワン21で、11時位までボリュームを上げてもコーンがばたついたりもせず、超低域までそれほど伸びてる様子がありません。ひょっとして、長岡先生所有ディスクとはマスターが違うのでしょうか?

個人的には「ANIMUS III」の終盤で、クラリネットとそれを変調した電子音が絡み合い、電子音が徐々に部屋中に広がり、頭上や背後から降り注いでくる部分が聴きどころと感じました。(C)1971とありますが、49年前にこれだけの電気的音場を実現できたというのは凄いことだと思います(ちなみに冨田勲「月の光」のリリースは1974年)。

「1枚の1/4しか役に立たない」という結論は一致したようです。

後ろから前から(A級外盤No.72)

No.72「パーカッション」

9月27日に紹介したNo.70「パーカッション Vol.2」の前作にあたります。「外盤 A級セレクション」の第2、3巻は、レーベルのアルファベット順並びにレコード番号順に掲載されていますが、第1巻は、作曲者あるいは収録曲の年代順に掲載されているため、このような逆転が起こります。

ジャケットは、多数の打楽器が立ち並ぶ録音現場の、表は5X5=25枚のカラー写真、裏は6X6=36枚のモノクロ写真を、モザイク状に敷き詰めたデザインですが、ゴチャゴチャしてピンときません。

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このまま縮小してCDジャケットにしたら、何が何だかわからないものになるでしょう、、、と思って調べてみたら、さすがにCD(R32E-1018)では3X3=9枚のカラー写真で構成するデザインに変更されていました。

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A面とB面冒頭に収録されている、コンスタンの「14のスタシオン(苦難)」とは、キリストの受難を描く14枚の聖画像(イコン)「十字架の道行き」のことのようです。スイスに出張した時に訪れたいくつかの教会で、これらを目にしたことを思い出します。ジャケット写真もこれを意識したものかもしれません。

曲は1〜10曲目がA面、11〜14曲目がB面に、それぞれ切れ目なしで収められていますが、私の信心が欠如しているせいか、曲のどの部分が受難のどの場面に対応しているのか、表題音楽として全く把握できません(バッハの受難曲などは、それなりにわかった気になれるものですが)。

打楽器曲としても、リズム動機に基づくようなわかりやすいものではなく、構成と音響を鑑賞する類のようですが、個人的にはあまり出来のいいものとは思えません。グアルダの打楽器ソロと、Vn,Va,Vc,Hps,Tb,エレキギターからなるアンサンブルで演奏されますが、打楽器群にオーバーラップするように曖昧に定位するアンサンブル(恐らく別録り)は、打楽器にからんで思いつきのように登場しては消え、存在意義が感じられません(要するに邪魔)。

B面後半のシュトックハウゼン「ツィクルス」の方が、打楽器のみに集中できる分、聴きやすいとはいえますが、出来としては似たり寄ったりの感があります。

さて、肝心の録音ですが「特にハイエンドの研ぎすまされた鋭さは、かみそりの刃で切裂くというか、フェンシングの本身のサーベルで電光石火の突きを入れてくるというか、恐るべきスピード感を持っている」という片鱗は窺えますが、全容を明らかにするには私のシステムは修行が足りないようです。

「ギロの緊迫感」が、ギザギザの角がくたびれて丸まっているように聴こえるのを筆頭に、パルシブな音の立ち上がりやエッジが微妙に欠如してしまうナマクラ刀の切れ味には、2万円の中華プリアンプの限界を感じます。

それでも「A面後半の3つのシンバルが大活躍する部分は猛烈な情報量、パルスの連続でありながら見事に分離しており、再生は難しく、テストにも使える」といったあたりは、それなりにこなしていますから、捨てた物ではありません。

 

と、後ろ向きにも前向きにも考えさせられる1枚となりました。

風と共に去りぬ

寝室の気温が20℃を切りました。

真夏の盛りには35℃程度まで上がり、真冬には5℃を下回ることもある部屋ですので、ちょうど中位点となりますが、さすがにTシャツ一枚では肌寒く感じます。天気予報は終日14-15℃で推移すると告げており、完全に夏は過ぎ去ったようです。

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27℃を超えると必須アイテムの扇風機も、9月半ば以降は使わなくなっていましたので、いよいよ片付け時でしょう。

7月27日の記事での完成報告を最後に、超微風扇風機の話題は取り上げてきませんでしたが、猛暑続きの8月は大活躍してくれました。以前の風量「弱」では、つけっ放しで眠ると夜中に体が冷えて目が覚めてしまいましたが、今夏は空気が僅かに流れる程度の超微風で一晩快適に眠れるようになりました。

トラブル知らずで活躍してくれたレギュレータに感謝しつつ、汚れを落としてカバーをかけて物置に収納しました。

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しばしのお別れとなりますが、来夏は来夏の風が吹くでしょう。

小さい旅見つけた

両親を連れて海を見に行きました。

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といっても、千葉市稲毛海浜公園です。東京湾埋立地に作られた人工の砂浜ですが、「磯の松原」と名付けられ「日本白砂青松100選」にも登録されているそうで、確かに美しい砂浜が広がっていました。夏は海水浴客で賑わうのでしょうが、やはり今年はコロナの影響で海水浴場は開設されなかったようです。

「これだけの白砂を運ぶのも大変だろう」などと無粋なことも考えてしまいましたが、調べてみると、ちょうど一年前に白い砂浜に改修したということです。ということは、白浜になってからは、一度も海水浴場が開かれていないということになります。道理で綺麗なわけです。

公園内には「フラワーミュージアム」という施設もあります。それほど大きな建物ではありませんが、熱帯植物が繁る温室や季節展示のハロウィンガーデンなどが楽しめ、平日にしては結構入場客もありました。

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往復37km、半日ほどの小さな旅でしたが、十分に楽しむことができました。

毒きなこ

昨日の記事で紹介したバッハ大全集のBOXですが、実は恐怖の座布団が仕込まれていました。クッション材のスポンジです。

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レコードのガタつき防止のために入れてあるのでしょうが、経年劣化でボロボロになると、BOXの中がスポンジ粉だらけの悲惨なことになります。CDの場合はさらに悲惨で、ディスクが腐食してしまいます。

つまみ出そうとしても、持つそばから崩れてしまいますので、箱ごと裏返してはたき落とすしかありません。

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実は、5月11日の記事で紹介したPhilipsのMozart Edition第7巻で発見し、その時点でPhilipsのBOXセットを中心に一通り対処していたのですが、漏れがあったという次第。改めてチェックをして、10枚ほどのスポンジを発掘しました。

 集めたスポンジを袋に入れて揉んでみると、きなこの山が出来上がります。下手に吸い込んだら重篤な肺病になりそうな、コロナより恐ろしい?毒きなこです。

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厳重に二重の袋詰めにして、燃えるゴミとして処分しました。

SM趣味

レコード棚を物色していたところ、こんなディスクを発掘しました。

J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティー
 ヘンリク・シェリング(Vn) 仏CBS 78317

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一度聴いたか聴かないか(おそらく未聴)という3枚組。BOXの番号はCBS 78317ですが、各レコードの番号は単品発売時のCBS 51068,69,70となっています。

1枚目のソナタ第1番を聴き始めて、びっくり! なんとも流麗で、存在感のある音が流れてきました。「確か、モノラル録音のはずなのに、、、」と思い、添付の解説書を確認すると、やはり「Enregistrement:1954 d'origine monophonique」(1954年のオリジナルモノラル録音)とあります。

「モノラル録音というと、もっと細身でセンターに収斂する感じではなかったか?」「ひょっとして擬似ステレオ??」と疑問がわいてきます。こういう時、以前はプリアンプをモノラルモードに切り替えて確認できたのですが、Nobプリにはそんな余計な機能はありません。

そこで引っ張り出したのが、モノラル録音のこちらのディスク。

J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティー
 ヨーゼフ・シゲティ(Vn)
  日キング MX 9031,32,33(AD)
  蘭Vanguard Classics 08 8022 72(CD)

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 CDのブックレットによると、1955年の10月から56年3月にかけて、N.Y.のCBSスタジオでの録音となっていますので、前述のシェリング盤にやや遅れてリリースされたことになります。ADは(P)1978、CDは(P)1956(C)1991とあり、ADは高校2年当時になけなしの小遣いをはたいて買った、私のディスク購入歴最初期のものとなります。

早速、ソナタ第1番をADで聴き始めます。シゲティ独特の、ぶっきらぼうとも言える硬質な響きが、モノラルとしてはやや膨らみ気味で流れてきます。次にCD。こちらの方が、やや細身かもしれませんが、基本的な音調は同様です。いずれも疑似ステではありません。

 

モノラルがモノラルとしてきちんと再生されていないとすれば、システムの左右位相特性にズレがあることにもなりかねません。が、演奏者の存在感が増して聴こえるとすれば、システムの美点とも考えられます。要は気の持ちよう?

 

ところで、シェリング無伴奏にはステレオ録音もあります。

手持ちはアルヒーフのバッハ大全集第6巻(独アルヒーフ 2 722 012)所収のもので、1967年7月、スイスのヴヴェイ劇場での録音とあります。

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これを再生すると、音像はさらに膨らみを持ち、スピーカーのやや後方に定位し、左右に揺れるさまも感じられます。これぞステレオ!

というわけで、ステレオもモノラルも実在感をもって再生できる、素晴らしいシステムであることが確認できました!??? というか、ヴァイオリン・ソロはモノラルでもかなり聴ける、ということでしょうね。

 

ちなみにシゲティ(1892-1973)は63歳頃、シェリング(1918-1988)はモノラルが36歳頃、ステレオが49歳頃の録音となりますが、その演奏は、

シゲティは楽譜を読み解きながら、一音一音刻み込むように弾く
・モノラルのシェリングは、楽譜を先読みしてスイスイと流れるように弾く
・ステレオのシェリングは、楽譜を置きつつも、しっかり暗譜して弾く

といった感じでしょうか。奏者の個性や年齢による変化を考えさせられる試聴となりました。

 

ところで、シェリングのモノラル盤は録音データが不明ですが、モノラルにしてはエコーが豊かで、時折車の走行音のようなノイズが入りますので、教会での録音かもしれません。